ウェブの駄文

駄文です。個人的なものです。

傷痕について

本日の日付は、2022年5月27日木曜日。今日の研究会までに完成させなければならない提出物をサボりつつ、この記事を書いている。時間は0時48分。半袖短パンで椅子に座っているだけでも少し居心地の悪い微妙な温度。汗をかいてはいないけれど、汗をかいたらしばらくは気化してくれないだろうなと思う、じっとりとした空気。汗腺からにじみ出る塩分濃度の高い液体を大敵とする肌を持つ者としてこの世に生を受けたこともあり、僕は夏が少し苦手だ。特に意味のない序文をかいてしまった。本題では「傷」について語ろうと思う。

デジタル大辞泉によると、傷とは以下の様なものを表すらしい。

きず【傷/×疵/×瑕】

  1. 切る、打つ、突くなどして、皮膚や筋肉が裂けたり破れたりした部分。「深い—を負う」
  2. 物の表面の裂け目や、欠けたりした部分。「レンズに—がつく」
  3. 人の行為・性質・容貌(ようぼう)などや物事の不完全な部分。好ましくない点。欠点。「怒りやすいのが玉に—」
  4. 不名誉なこと。恥ずべきこと。汚点。「経歴に—がつく」
  5. 心などに受けた痛手。「失恋の—をいやす」

私が話したい「傷」は1⃣の用法で表される「傷」である。

とはいっても、人の体にあるありとあらゆる傷について語りたいわけではなく、その中でも特徴的な部類である、その人自身で付けた「傷」について語りたい。例えば、ピアスの穴やタトゥー、さらにいえばリスカ痕や根性焼き(煙草の火を押し付けた痕)について語りたく思う。

傷痕フェチ、というのは、まあGoogleさんで検索すると出てくるくらいにはポピュラーな性癖であるため、聞いたことのある読者の方も多いとおもう。ただし、傷痕フェチを名乗っている人であっても、私と同じ考えであるとは限らないので注意されたし。

ピアスやタトゥーというのは一生自身の体に残るものであり、社会的にまだ許容されきっていないものであるからこそ、それを持つ人の強い意志の結果であることがある。そして、多くの場合、興味深い意味や、味わい深い思い出が隠されている。

例えば先日、彼女にピアスの穴を開けてもらったのだが、これは1ヶ月前から付き合い始めた彼女へのプレゼントの意味合いが強い。つまり「私はこのピアスホールを見るたびにあなたを思う」という意図を持つ傷痕なわけだ。このまだジクジクと痛む傷痕は、将来あなたが私の側にいようがいまいが、あなたのことを定期的に思い出すきっかけを与えてくれ、振り返られた私の人生に(そして私の右耳に)あなたという存在を強烈に位置づけることになる。もちろん、あくまでキッカケであって、あなたの存在の全てが「右耳にピアスを開けた女」になるわけではないので、安心してほしい。

自身でつけた傷痕には、過去にその人が抱いていた自身への悩みだったり、社会に対するイラつきのようなものだったりが含まれているため、それはそれで好奇心が刺激される。過去に交流を持った人(傷痕を持っているのは女性であることが多いように思う)の中で最も印象に残っている傷痕は、左前腕の外側についた傷痕だ。コンビニの、あたったものをすべてプラスチックの質感に変えてしまうかのような、まっしろい光で照らされた腕にある葛藤の証。非常に良かった。また機会があれば見せてほしいと願う。

こうして考えてみると、自身でつけた「傷」は上記した傷の用法5⃣の側面も多少持つのではないかと思える。Twitterだっただろうか、どこかで見た文章に「リスカは心の傷を見える形にしたもの」とあったが、あながち間違いではないのかもしれないと思う。

自分が好きなものを知る能力とは

このエントリーは 2022/04/28 の午前3時にLuckyStrikeとMosterEnergyを楽しみながら書いている。日記を付けているときと同じ様に今の状況を説明するところから始めると、ブログでも書きやすいような気がしている。

さて、自分が好きなものを知る能力について書こうと思った経緯だが、これは昨夜の内省を発端としている。私は2020年に、現在も在籍している大学に入学したが、新型コロナウイルスの感染拡大により春の一学期目からオンライン講義を受講するハメになった。当時の私はかなりオンライン講義に好意的な印象を持っていたし、むしろ自分に向いていると考えていた。

2020年7月にしているツイートがこちら、これ以外にもオンライン講義に好意的なツイートは散見される。

しかし当然のことながら、2020年入学当初からオンライン講義である学生は対面講義を知らない。なにかを好きであるためには、それの裏に位置するものを知った上で好きにならなければいけないわけだが、当時の私は「オンライン講義」の裏に位置するであろう「対面講義」を知らずに、オンライン講義が好きだと信じていた。もちろん私は当時、確信を持ってオンライン講義を好んでいたわけだが、2022年に対面授業が復活し「キャンパスをぶらぶらすること」の良さだとか「よっ友」のありがた味だとかを身をもって感じるようになると、それほど確かにオンライン講義のほうが良いといえなくなってきた。振り返ってみると、私は以前「オンライン講義は学生のキャンパスライフを奪っている、学費の返還を大学に求める!」のような活動を小馬鹿にしていたが、今では彼らも正しかったような気がする。(もちろん、学費の返還を求めるのはオンライン講義の設備投資で財政が厳しくなっている大学に対して、厳しい主張ではあると思うが)

私は自分で自分が好きなものを見つける能力があると考えていたが、この経験を経て全くそうではないことに気付かされた。というより、やはり、好きなものを選択するためには様々なものを試してみなければならないのだろう。(言い訳をするのならば、弊学部では完全にオンラインのみだったため、対面授業を受ける機会がなかった)

結論として、好きなものを知る能力というのは「先入観なく様々なものを試し、それへの自分の考えを内省を通じて認識することだ」といって差し支えないように思う。

インターネットに存在を残すということ

おはようございます、本日は全休です。\ヤッター/

毎学期、授業が始まるとスマホで午前12時には布団に入り、午前8時に起きるように設定するのですが、大抵6月にはもう意味をなさなくなっています。今期はどのくらい持つかな~?

 

昨晩、弊大学の卒業生について調べていたら「このまま眠り続けて死ぬ」#nemuritsuzuketeshinu という、2011年くらいにTwitterではやってたフレーズ(自動ツイート的なアレ)の作者さんにたどり着いて驚きました。11年前といえば私が、まだケツの青いガキだった頃のことですが、当時も大学生というのはいて、同じ校舎で同じようなことをやっていたのだなと実感して、大学という場所の良さみたいなものを感じました。

近年TwitterTikTokなどの「早い」SNSが流行していて、発信したものが後世に残らないように感じている。ブログというものが再度評価される時代が来てほしいと切に願う。

Twitterでウジウジしてるやつらの地雷を集めて踏み抜いて宇宙旅行したい

こんにちは、Twitterでウジウジしてるやつらの代表こと、私です。

みなさん「僕のヒーローアカデミア」を見たことはありますか?物語の中で主人公のデクくんが、地雷を集めてレースで一位になるくだりがあるのですが、私もそれをやりたいなあと思ってこの記事を書いています。

しかしながら、現実世界で本物の地雷を集めるのは難しい、というか、爆発物取締罰則一条にあるところの「治安ヲ妨ケ又ハ人ノ身体財産ヲ害セントスルノ目的ヲ以テ爆発物ヲ使用シタル者及ヒ人ヲシテ之ヲ使用セシメタル者ハ死刑又ハ無期若クハ七年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」に該当する可能性が、ほぼ、120%、確実、たぶん。なので、比喩的な意味で実行できないか、考えてみます。

地雷を集める

まず地雷を見つけるためには地雷を所持している人を探さなければいけません。現実世界でやってもよいのですが、個人的な理由により人と話すことが、大変、とても、すごく、マジで、苦手なので、Twitterという肥溜めチョーカッケェマジマンジなSNSで探す方法を考えます。

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適当に #地雷系 で検索して出てきたツイートのいいねからモノホンの地雷を抱えてる人間を洗い出し、リストにぶちこみます。

※注意※ ここでツイート主をリストにぶちこまないようにしましょう、見た目が地雷系だからといって地雷を所持しているとは限りません。フォロワー数が多い人の場合、いわゆる「ファッション」の可能性があります。

火薬を集める

次に、先に作成した地雷っぽいツイッタラーだらけのリストからホンモノを集めます。ここが全ての作業工程の中で最も根気が必要になるので、我慢強く行いましょう。私が取った手法としましては、先程作成したリストを眺め続け爆発力の高そうなツイートをブックマークに集め、それらのツイート主とリプライを送れる程度の仲になっておきました。

時間が有り余っていて、かつ、自己肯定力の低いニートくんなどは、先に上げた手順を省略し、自分で構築したTLからだけでも十分な火薬を入手できるかもしれません。

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起爆剤を集める

最後に起爆剤を考えます。全ての地雷を一気に踏み抜ければ理想的なのですが、現実的に難しいでしょう。ここでは、地雷系ツイッタラーの界隈をできるだけ限定することで、連鎖的な爆発を起こすことができるという仮説に立って進めていきます。この仮説を前提に置くことで、全てを同時に爆発させる必要がなくなるため、技術的にも楽になります。ここでは、このツイートを起爆剤としました。

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以上がTwitterでウジウジしてるやつらの地雷を集めて踏み抜いて宇宙旅行する方法となります。だいぶ飽きてきたのでコレで終わりにします。

あとがき

僕のヒーローアカデミア」でデクくんが地雷を集めてレースで一位に並ぶシーンのある話です。人間、がむしゃらにやればなんとかなるのかもしれませんね。

https://www.netflix.com/watch/80214681?trackId=155573558

2022/01/28

このブログのタイトルであるところの日付は、GoogleIMEをインストール?したパソコンで「きょう」という文字列を変換し、入力している。

底冷えのする部屋で、一人、自分にしては早めに起床した朝には、老人と大学生しか住んでいないような、街、と呼ぶには寂しすぎる場所でコンビニにスープとコーヒーを買いに行ったことを思いだす。

定期的に会い、語り合い、まあ多少なりとも愛を感じ、そんなことをできる人がいたとしても、僕という人間のことを完全に理解されることはない。同じような経験をし、同じような感情を覚えたことがあったとしても、それが同一のものといえる根拠はない。根拠のないことを真実にすることができるのが人間の良さだと思う。僕にはそれが欠けている。

春が嫌いだ

僕は春が嫌いだ。冬が終わり、風が強くなり、鼻がムズムズし始めるこの季節が一年の中でもっとも嫌いだ。肌寒さもなくなって、外に出る人が浮ついているようになるこの季節が嫌いだ。冬の間に近づいた本質から離れて、社会に出るために嘘を心に塗って、それでヘラヘラしてられる人々も嫌いだ。新しい場所にいっても、呼ばれる形が変わっても彼ら自身は何も変わっていないはずなのに、人が変わったようになるヤツらが嫌いだ。

季節がいっかいまわって、住む場所が変わって、付き合う仲間も変わったとしても、変わらないものはある。多分、僕はそういう変わらないものに人よりもずっと深く愛着を持っているだけで、他の人が先へ進んでいるように見えるのは、外側のころころ変わるものばかり見えるからなんだと思う。その「外側のころころ変わるもの」をうまく社会とか、人生のステージとかに合わせるよう調節していくのが、成長するってことなんだろうなあと思う。

結局の所、人は変わらないし、変わったように見えるのは、付けているお面が変わっただけなんだ。

2021/03/07

僕はあまり人のいうことを気にしない性格をしている。というか、人を無意識的に自分の心から遠ざける癖が付いちゃってるので、他の意見を理性的にしか受け取ることができない。誰かがいったことで気分が良くなったり、夜眠れなくなったりすることは、他の人より少ないのではないかと思う。

けど、僕にも誰かを危ないくらい心の近くにおいた経験はある。なんなら今でもまだ根っこの方で眠ってる。

人間の人格形成に大切な思春期をある特定の他者と共に過ごすことは大変危険なことだ。自分の考えとその人の考えがごっちゃになるし、成長しきって自我なんてものが確立したようにみえても、グラグラ揺らされる余地が残ってしまう。「来世ではちゃんとします」では、昔付き合っていた人のSNSを覗くことを "心のリストカット" と定義していた。おもしろい。

肉親でもいいし、敬愛する先生でもいいけれど、自分の性格をつくってくれた人の言葉は根っこの方をぶったたく。いつもやるように「あーはいはい、なるほど、そういう意見もあるよね、でも…」なんて受け流す事ができない。クリティカルヒット。避けきったと思ったところにもう一段階伸びて顔面ヒット。頭クラクラで一発ケーオー。ってなってしまう。