2021/02/20
2021年が始まってそろそろ3ヶ月が経つので、日記をまた書こうかなと思う。
僕の日記のほとんどは備忘録的なものなので、書いているときの日付をタイトルにするのは正しいのかとか考えてしまうけど、まあ便宜上こちらのほうが楽なのでこうさせてもらう。
久しぶりに部屋の片付けをしていたら色々と出てきたので写真を撮ってみた。
とまあ、僕の部屋にはゴミみたいなものが多いのだけれど、これは時間の考え方が違うからなんじゃないかとちょっと思った。
普通の人は過去と現在と未来を同じくらいの比率で大切にしていると思うのだけれど、僕の場合は今の生活とか将来のこととかを考えるよりも多くの時間、昔について考えている。
例えば、この前行った雪山めっちゃ景色綺麗だったなとか、あの約束まだ果たせてないしやんなきゃとか、最後に言ったセリフってどんな意味だったんだろうとか、そんな感じだ。
ゴミを何らかの形で保存して部屋に飾る行為は、日々作り出されていく膨大な僕の過去をなんとか忘れないようにしようとする意志の現れなのかもしれない。
そういえば、冒頭で「僕の日記のほとんどは備忘録的なもの」と書いたけれど、この投稿も過去を忘れないようにって気持ちの現われだなぁと思う。
2020/11/17
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」読み終わった。
また読み直したいと思える小説だった。
SFは自分的にはあまり馴染みのなかったジャンルだけれど、抽象的な思想が根本にある物語に関しては、こういう形のほうがうまく表せられるのかも知れないと思った。
やはり、人から勧められた本を読むのは良い。この本はアニメの中で勧められていた本だけれど、その良さは損なわれないように思う。
人の本を借りる良さというのは、借りた人の考え方や見え方が変わるところであるように思う。今回、槙島聖護から勧められた本を読んで思うのは、彼もまた社会に絶望している張本人だったということだ。
良い夜であった。
来歴
こんにちは、僕です。
多くの人に経歴おもしろいねっていわれるので、ここに書き留めておこうと思います。
何度も人に話してるので所々間違えたり、変わってたりするとことがあると思いますが、特定されないための改変ということにしてスルーしてください。
出身・育った環境
愛知県生まれ、比較的裕福な家育ち。小さな頃から、公文式や塾に通わせてもらっていたように覚えている。
最寄りのコンビニまで歩いて15分、最寄り駅までは20分の郊外で育った。
好きだったテレビチャンネルはディスカバリーチャンネルとナショナルジオグラフィック。中でもディスカバリーチャンネルの「怪しい伝説」がお気に入りだった。
父親が映画好きだったので一緒によく洋画を見た。
小学校
振り返ってみると僕は癇癪持ちで扱いづらい生徒だったと思う。
学校でケンカをして、ケガさせた子の家に母親と謝りに行ったことが何度かある。なぜ怒られるのか、なぜ謝らなければいけないのかわからなかったから、次の日にはふつうに仲良くしようとしていた。
ケンカしたあとの方が近しくなれるような気すらしていた。
小学2年生のときに初めて精神科へ連れて行かれた。
長いドライブだったが、車に乗るのは好きだったので苦痛ではなかった。目的地につき、どんなところに来たんだろう!と思い外に出たら、普通の駐車場だったのでガッカリした。病院の個室で、図形を作ったり、絵の順番を揃えたりするテストを受けた。おそらく発達障害かどうかを調べるためのものだったはずだ。結果はその時には教えられなかった。
ただ、いつだったか学校でまた問題を起こした日の家で「あなたは発達障害なのよ!」とヒステリックに教えられたことは、強烈に頭に残っている。
小学4年生は、それほど揉め事を起こさなかった年だった。担任の先生が問題児を管理することが上手い人で、手を出したらすぐ引き離して、落ち着くための時間をくれた。ごま塩のふりかけを教卓に入れていて、給食の白ごはんにかけてくれる優しい先生でもあった。
その先生だけは、割と好きだったことを覚えている。
中学校
中学は地元の公立中学へ進学した。あまり良い思い出はない。
唯一ある楽しい記憶は、バスケ部の先輩に遊んでもらった時のものくらいか。あの先輩に対する気持ちは、憧れからの好きだったのか恋愛的な好きだったのかわからない。
中学はめんどうだった。
ケンカをしても一日経ったら忘れるなんてことが許されなくなっていた。よくわからなかった、ケンカは嫌いだからするのではなくて、ただムカついたからするものだと思っていた。
しだいに、学校をサボりがちになった。最初は木曜日だけ休んでいたが、それが火曜日と木曜日になり、火曜日から木曜日になり、最終的には全く行かなくなった。
家では一日中ディスプレイの前にいた。パソコンでTwitterをしながらゲームをしていた。ブラウザでできるMMORPGから始まり。PS3の「CoD Ghost」「BO2」中学3年生にはPS4で「Distiny」をプレイした。昔からゲームは好きだったけれど、当時は楽しみのためというより、逃避のためにプレイしていたのだと思う。
ヘッドセットをして画面に表示されるタスクをこなしていると、他の考えるべきことを忘れられた。
中学3年生の夏休みに、仲良かったTwitterの人に誘われてオフ会に参加することになった。そこであった年上の女性とセックスをした。刺激的だった。
なりゆきで付き合うことになった。千円くらいのネックレスをプレゼントした。
毎日のように彼女の最寄り駅まで行き、ホテルに入り、セックスをした。そればかりしていた。
そんな生活を続けていればすぐにお金が足りなくなる。貯めていたお年玉に手を付けた、親の貯金箱からくすねた。それらもすぐに限界が来た。別れたい旨を伝えたら泣かれた。動揺した。なぜ泣くのかわからなかった。2時間ほど慰めた。Twitterである事ない事を吹聴されていた。
これが恋愛なのかと思った。
2020/11/06
人を傷つけずに生きることは、大変難しい。一生涯をそれをせずに終えるのは、不可能と言ってしまっても良いかも知れないほどに。
人との関係について
僕は他人に会ったときに、無意識に予想を立てる。
この人はどんな人だろうか…話を聞いていると良さそうな人な気がする…?
次に、理想を描く。
この人はいつも私に優しいし…友達も多いし…間違いなく素敵な人だ…!
それからしばらくして、がっかりする。
この人って最初は素晴らしい人に見えたけど…本当のところはそんなこともなかったわ…。
こんな具合に。
そして最後にはその人から距離を置くことを選択する。大抵の場合。
もちろん、関係や感情によって緩やかだったり急だったりするが、ほとんどの関係においてこのフレームワークが使われている。様に思う。
問題はがっかりしたあと、つまり理想が打ち砕かれたあとにどうするかだ。
上でも述べたように、僕は多くの場合関係を放棄することを選択してきた。
例えば、ご存知、元カノちゃん。僕は初めて付き合った彼女に対して、部屋に引きこもって相手と会わないようにすることで、理想が壊れた現実を見ないようにした。ひどいことをしてしまったと後悔している。成人式で再会した時に謝ろうとしたが、拒絶されてしまった。それほど相手の心を傷つける行為なのだと思った。
これはいってしまえば逃避である。自分の殻に閉じこもり実態を見ようとしないことで精神の安寧を保とうとする行為だ。良くないなあと思う。
関係によっては、表面を取り繕うことでなんとかこなされているモノもある。
このケースは、機能不全家庭の父と母が自分にとってのわかりやすい例だ。別に今の両親が仲が悪い訳ではないけれど、自分のせいでそうなりかけているのを目の当たりにした事がある。高校で海外に留学するという選択をさせてもらえたのは、自分のためだけでなく両親のためにもなったのかも知れない。
これは、まあ、逃避よりは良いのではないかと思う。中身がなくとも、関係を保っていればそれを修復する機会も訪れるからだ。
最後の付き合い方としては、理想を捨てて感情を抑えて、その人自身をもう一度見つめ直す。というものがある(らしい)。
僕には具体的な例や方法は思いつかないが、まあ、努力次第で可能なのかも知れないと思う…。
いつか、僕にも傷つけた人を正しく知り、平坦な好意をもって関係を再構築できるような、成熟した精神が宿ることを願って。それを信じて、今夜は筆を置こうと思う。
日記
2020/10/15
どうやら意識高い系の動画を見すぎたようで、ブログを書くことにしました。
過剰な自己顕示欲と未来の漠然とした不安を材料にして、駄文を垂れ流しててみようと思います。