ウェブの駄文

駄文です。個人的なものです。

自分が好きなものを知る能力とは

このエントリーは 2022/04/28 の午前3時にLuckyStrikeとMosterEnergyを楽しみながら書いている。日記を付けているときと同じ様に今の状況を説明するところから始めると、ブログでも書きやすいような気がしている。

さて、自分が好きなものを知る能力について書こうと思った経緯だが、これは昨夜の内省を発端としている。私は2020年に、現在も在籍している大学に入学したが、新型コロナウイルスの感染拡大により春の一学期目からオンライン講義を受講するハメになった。当時の私はかなりオンライン講義に好意的な印象を持っていたし、むしろ自分に向いていると考えていた。

2020年7月にしているツイートがこちら、これ以外にもオンライン講義に好意的なツイートは散見される。

しかし当然のことながら、2020年入学当初からオンライン講義である学生は対面講義を知らない。なにかを好きであるためには、それの裏に位置するものを知った上で好きにならなければいけないわけだが、当時の私は「オンライン講義」の裏に位置するであろう「対面講義」を知らずに、オンライン講義が好きだと信じていた。もちろん私は当時、確信を持ってオンライン講義を好んでいたわけだが、2022年に対面授業が復活し「キャンパスをぶらぶらすること」の良さだとか「よっ友」のありがた味だとかを身をもって感じるようになると、それほど確かにオンライン講義のほうが良いといえなくなってきた。振り返ってみると、私は以前「オンライン講義は学生のキャンパスライフを奪っている、学費の返還を大学に求める!」のような活動を小馬鹿にしていたが、今では彼らも正しかったような気がする。(もちろん、学費の返還を求めるのはオンライン講義の設備投資で財政が厳しくなっている大学に対して、厳しい主張ではあると思うが)

私は自分で自分が好きなものを見つける能力があると考えていたが、この経験を経て全くそうではないことに気付かされた。というより、やはり、好きなものを選択するためには様々なものを試してみなければならないのだろう。(言い訳をするのならば、弊学部では完全にオンラインのみだったため、対面授業を受ける機会がなかった)

結論として、好きなものを知る能力というのは「先入観なく様々なものを試し、それへの自分の考えを内省を通じて認識することだ」といって差し支えないように思う。