ウェブの駄文

駄文です。個人的なものです。

来歴

こんにちは、僕です。

多くの人に経歴おもしろいねっていわれるので、ここに書き留めておこうと思います。

何度も人に話してるので所々間違えたり、変わってたりするとことがあると思いますが、特定されないための改変ということにしてスルーしてください。

出身・育った環境

愛知県生まれ、比較的裕福な家育ち。小さな頃から、公文式や塾に通わせてもらっていたように覚えている。

最寄りのコンビニまで歩いて15分、最寄り駅までは20分の郊外で育った。

好きだったテレビチャンネルはディスカバリーチャンネルナショナルジオグラフィック。中でもディスカバリーチャンネルの「怪しい伝説」がお気に入りだった。

父親が映画好きだったので一緒によく洋画を見た。

小学校

振り返ってみると僕は癇癪持ちで扱いづらい生徒だったと思う。

学校でケンカをして、ケガさせた子の家に母親と謝りに行ったことが何度かある。なぜ怒られるのか、なぜ謝らなければいけないのかわからなかったから、次の日にはふつうに仲良くしようとしていた。

ケンカしたあとの方が近しくなれるような気すらしていた。

 

小学2年生のときに初めて精神科へ連れて行かれた。

長いドライブだったが、車に乗るのは好きだったので苦痛ではなかった。目的地につき、どんなところに来たんだろう!と思い外に出たら、普通の駐車場だったのでガッカリした。病院の個室で、図形を作ったり、絵の順番を揃えたりするテストを受けた。おそらく発達障害かどうかを調べるためのものだったはずだ。結果はその時には教えられなかった。

ただ、いつだったか学校でまた問題を起こした日の家で「あなたは発達障害なのよ!」とヒステリックに教えられたことは、強烈に頭に残っている。

小学4年生は、それほど揉め事を起こさなかった年だった。担任の先生が問題児を管理することが上手い人で、手を出したらすぐ引き離して、落ち着くための時間をくれた。ごま塩のふりかけを教卓に入れていて、給食の白ごはんにかけてくれる優しい先生でもあった。

その先生だけは、割と好きだったことを覚えている。

中学校

中学は地元の公立中学へ進学した。あまり良い思い出はない。

唯一ある楽しい記憶は、バスケ部の先輩に遊んでもらった時のものくらいか。あの先輩に対する気持ちは、憧れからの好きだったのか恋愛的な好きだったのかわからない。

中学はめんどうだった。

ケンカをしても一日経ったら忘れるなんてことが許されなくなっていた。よくわからなかった、ケンカは嫌いだからするのではなくて、ただムカついたからするものだと思っていた。

しだいに、学校をサボりがちになった。最初は木曜日だけ休んでいたが、それが火曜日と木曜日になり、火曜日から木曜日になり、最終的には全く行かなくなった。

家では一日中ディスプレイの前にいた。パソコンでTwitterをしながらゲームをしていた。ブラウザでできるMMORPGから始まり。PS3の「CoD Ghost」「BO2」中学3年生にはPS4で「Distiny」をプレイした。昔からゲームは好きだったけれど、当時は楽しみのためというより、逃避のためにプレイしていたのだと思う。

ヘッドセットをして画面に表示されるタスクをこなしていると、他の考えるべきことを忘れられた。

中学3年生の夏休みに、仲良かったTwitterの人に誘われてオフ会に参加することになった。そこであった年上の女性とセックスをした。刺激的だった。

なりゆきで付き合うことになった。千円くらいのネックレスをプレゼントした。

毎日のように彼女の最寄り駅まで行き、ホテルに入り、セックスをした。そればかりしていた。

そんな生活を続けていればすぐにお金が足りなくなる。貯めていたお年玉に手を付けた、親の貯金箱からくすねた。それらもすぐに限界が来た。別れたい旨を伝えたら泣かれた。動揺した。なぜ泣くのかわからなかった。2時間ほど慰めた。Twitterである事ない事を吹聴されていた。

これが恋愛なのかと思った。