ウェブの駄文

駄文です。個人的なものです。

2020/11/06

人を傷つけずに生きることは、大変難しい。一生涯をそれをせずに終えるのは、不可能と言ってしまっても良いかも知れないほどに。

人との関係について

僕は他人に会ったときに、無意識に予想を立てる。

この人はどんな人だろうか…話を聞いていると良さそうな人な気がする…?

 次に、理想を描く。

この人はいつも私に優しいし…友達も多いし…間違いなく素敵な人だ…!

 それからしばらくして、がっかりする。

この人って最初は素晴らしい人に見えたけど…本当のところはそんなこともなかったわ…。

こんな具合に。

そして最後にはその人から距離を置くことを選択する。大抵の場合。 

もちろん、関係や感情によって緩やかだったり急だったりするが、ほとんどの関係においてこのフレームワークが使われている。様に思う。

問題はがっかりしたあと、つまり理想が打ち砕かれたあとにどうするかだ。

上でも述べたように、僕は多くの場合関係を放棄することを選択してきた。

例えば、ご存知、元カノちゃん。僕は初めて付き合った彼女に対して、部屋に引きこもって相手と会わないようにすることで、理想が壊れた現実を見ないようにした。ひどいことをしてしまったと後悔している。成人式で再会した時に謝ろうとしたが、拒絶されてしまった。それほど相手の心を傷つける行為なのだと思った。

これはいってしまえば逃避である。自分の殻に閉じこもり実態を見ようとしないことで精神の安寧を保とうとする行為だ。良くないなあと思う。

関係によっては、表面を取り繕うことでなんとかこなされているモノもある。

このケースは、機能不全家庭の父と母が自分にとってのわかりやすい例だ。別に今の両親が仲が悪い訳ではないけれど、自分のせいでそうなりかけているのを目の当たりにした事がある。高校で海外に留学するという選択をさせてもらえたのは、自分のためだけでなく両親のためにもなったのかも知れない。

これは、まあ、逃避よりは良いのではないかと思う。中身がなくとも、関係を保っていればそれを修復する機会も訪れるからだ。

最後の付き合い方としては、理想を捨てて感情を抑えて、その人自身をもう一度見つめ直す。というものがある(らしい)。

僕には具体的な例や方法は思いつかないが、まあ、努力次第で可能なのかも知れないと思う…。

 

いつか、僕にも傷つけた人を正しく知り、平坦な好意をもって関係を再構築できるような、成熟した精神が宿ることを願って。それを信じて、今夜は筆を置こうと思う。